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やり場のない長文

「こまぬく」の変化について(2) クイズ! 国語辞典性格診断

teebeetee.hatenadiary.jp

(前回のあらすじ)山田俊雄が「こまねく」について書いてるエッセイを読んだので、自分ちにある辞書を引きたくなりました。

 

「こまぬく」→「こまねく」のような、時の流れによって語形変化をおこした語の場合、国語辞典ではどちらか一方に語釈を書いて、もう片方には参照(「=こまぬく」のような表示)のみを示す。こういう局面にどう対応を取るかで、その辞書の現代的な語・用法に対する姿勢が明らかになるわけである。手もとの辞典を引き比べ、対応を大まかなパターンに分類すると、以下のようになった。

(A)「こまねく」に語釈を書き、古形「こまぬく」には参照だけつける。

(B)古形「こまぬく」に語釈を書き、「こまねく」には参照だけつけるが、現在では「こまねく」が一般的であることを注記する。

(C)古形「こまぬく」に語釈を書き、「こまねく」には参照だけつける。使用頻度には言及しない。

(D)古形「こまぬく」のみ見出し語とし、「こまねく」は見出しに立てない。

 上の方ほど「こまねく」に寛容、すなわち現在の一般的用法として認めている。下の方ほど「こまねく」に不寛容、「こまぬく」を本来の形として教示している、ということ。

 この性格診断テスト*1に供せられる、我が家の辞書たちは、以下の面々である(カッコ内は初刷発行年)。出版社名が書名にないものは書き加え、初版の発行年を付した。

三省堂国語辞典 第七版(2014)初版1960年
集英社国語辞典 第三版(2012)初版1993年
・新選国語辞典 第九版(2011)小学館 初版1959年
広辞苑 第六版(2008)岩波書店 初版1955年
・旺文社国語辞典 第十版(2005)初版1960年
新明解国語辞典 第五版(1997)三省堂 初版1972年
講談社 国語辞典 学術文庫版(1984)初版1966年
角川書店 国語辞典 新版(1969)初版1956年
・新潮国語辞典-現代語・古語-(1965)初版1965年

どれも初版がすでに戦後のもの*2なので、話の流れ(前回参照)から言って(D)のパターンは無いんじゃないかと思われそうだが、これが一冊だけあてはまるのだ。残りのグループには1:2:5の割合で分かれる……というのがヒントで、腕に自信のある人は、ぜひ答案を書いてから写真の下までスクロールしてください。全問正答できたら超絶国語辞典マニアである。私が出題されたらまず正解できない。

 

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左から右に向かって新しくなるように並べている。手前で開かれてるのは広辞苑

 


さて正解は、

(A)「こまねく」に語釈
三省堂国語辞典 第七版(2014)初版1960年

(B)「こまぬく」に語釈、ただし「こまねく」が一般的と注記
・新選国語辞典 第九版(2011)小学館 初版1959年
([参考]現在では「こまねく」のほうが、ふつうに使われる)
広辞苑 第六版(2008)岩波書店 初版1955年
(▽近年、音変化した「こまねく」が多く使われる)

(C)「こまぬく」に語釈
集英社国語辞典 第三版(2012)初版1993年
・旺文社国語辞典 第十版(2005)初版1960年
講談社 国語辞典 学術文庫版(1984)初版1966年
角川書店 国語辞典 新版(1969)初版1956年
・新潮国語辞典-現代語・古語-(1965)初版1965年

(D)「こまねく」の見出し無し
新明解国語辞典 第五版(1997)三省堂 初版1972年

……というものである。どうでしょう。現代語ストロング・スタイルで定評のある「三省堂」が(A)に来るのはまずわかるけど、60年代の辞書(新潮、角川)が(D)に来ずに「新明解」が入ってるとか、初版も改版も新しい「集英社」が(B)にいないあたりが、引っかかるポイントではないかと思う。

 ちなみに「広辞苑」の第五版(電子辞書版)は(C)に入る(注記がなかった)ので、2008年の改訂で「こまねく」に寛容になったようである。「コトバンク」収録の「大辞林 第三版」は(B)、「デジタル大辞泉」は(C)に入る。これらの中型辞典は同じ出版社の小型辞典(「三省堂(A)」と「新選(B)」)よりはやや保守的と言える。

「こまねく」を見出しにしていない「新明解」だけど、当然「こまねく」の形に気づいていないわけではなくて、「こまぬく」の語釈中に〔口語形では「こまねく」とも〕と書いてある。見出しになくても気づくのは容易であろう(と擁護する)。もっとも、1997年の時点でも「こまねく」を口語形に限定できるか(すべきか)は疑問に思う。正誤の判断は棚上げするとしても、文章での用例がない(少ない)とは言えないではあるまいか。踏み込んだ語釈のために斬新なイメージを持たれがちな「新明解」ではあるけど、見出し語の選択など他の要素では実は保守的、という一例だと思う。現在の版(第七版、2012年)ではどうなっているのだろう?

(C)グループの中でも、「こまねく」に対する態度には温度差がある。もっとも手厳しいのは「講談社」で、「「こまぬく」の誤り」とバッサリ切り捨てるようなことを書いている。これでは見出し語に採用してるとはいえ、「新明解」よりよほど厳しい見解である。書いてある場所もノドから一行目で暗い雰囲気だし、「「こまねく」よぉ、オメーちょっと使われてるからって調子乗ってんじゃねーよ」とでも言いたげな圧を感じる*3。ほとんどいじめじゃないかと思うような厳しさだけど、私には手をこまぬいて見ていることしか出来ない。

 そこへ颯爽と現れて、「こまねく」に救いの手を差し伸べるのが、山田俊雄先生の「新潮国語辞典」なんである。「新潮」での「こまねく」の語釈部分は「→こまぬく」という参照だけのそっけないものだが、その後ろに〔ヘボン〕という福音が記されている。〔ヘボン〕、ああ、〔ヘボン〕! これは「ヘボンの「和英語林集成」(1867)に見出し語として採録されてる語ですよ」という意味である。「新潮」が参照しているのは厳密には「和英英和語林集成 第四版」(1888)ということなのだけど、いずれにせよ、幕末から明治初期までの間に使われていた日本語の、確かな証拠と言うことができる。まあこれだけだとヘボンにも「アヤマリ」と書かれてるなどの可能性は捨てきれないわけだけど(辞書愛好家は疑り深い)、少なくとも見出し語には立ってる。いつかヘボンの原文を調べてみたいものである。

 また、「こまねく」の使われていた時期がずっと古いからといって、「誤り」と断言するのが誤りなわけではもちろんない。辞書の紙幅では許されない証拠が背後にあるのかも、と疑わせる契機になるし、発行当時に巷間で行われていた誤用説の保存、という役割を引き受けることでもあるので。

 ここでせっかくなので、「新潮」の素敵な出典表記についてもう少し詳しく説明させてください。「こまぬく」という見出しには三つの意味が書いてあって、

(一)うでぐみをする。
(二)左右の手を腹の上で組み合わせて敬礼をする。
(三)何もしないでいる。

というものである*4。で、この順序は意味の派生の順序(先に書いてあるほうが古い)を示していて、さらに出典表記を見ることで、その意味のおおまかな年齢がわかる、というのが「新潮」の特徴(チャーム・ポイント)なんである。

(一)には「こまねく袖を秋風ぞふく」〔古今六帖一〕と引用がしてある。「古今和歌六帖」は平安中期(十世紀末)成立とみられる私撰集なので、その頃までには使われていたことがわかる。辞典類の見出し語としては〔名義抄〕にあることが示されていて、「新潮」においては「観智院本類聚名義抄」にあるよ、という意味です。この字書は平安末期の成立*5

(二)には引用例文「拱(―きて)レ手辞曰」〔孝徳紀訓〕とあって、これはちょっと難しい。まず「紀」というのが「日本書紀」の略記で、その前に「孝徳」とあるのは、その用例の見られる巻次を示している。孝徳天皇の巻(第二十五)から引きましたよ、ということです。で、そのあとの「訓」というのが重要で、これは奈良時代に成立した「日本書紀」の引用ではあるけれど、日本での著作とはいえ漢文だから、そこにあるのはあくまで「拱」という漢字でしかない。これを「こまぬく」と読んだ証拠は、平安後期(以降)に書かれた訓読にしか求められない、という含意を持った表示である。これが理由になって、平安中期以前の証拠のある(一)よりあとに日本書紀の引用出典をもつ(二)が並べられているわけですね。僅差みたいだけど、明治と平成ぐらいの時代差はある。

(三)には引用がない(不安だ)。

……と、いうような情報が、たちどころに読み取れる辞書なんである、「新潮」は。こんな小さいのに。「広辞苑」にも古典の用例は引かれてるけど、「新潮」のほうが情報量が多いし、誤解の無いよう配慮されていると感じる*6。これって、最高にクールだと思わないか? 私はファッキン・クールだと思う*7。「たちどころに」とかしれっと書いたけど、私のごとき教養の不足した身では、正確に理解するのに苦労するところもある(上の説明も誤りの無いよう調べながら書きました)。でもとにかく、古辞書や写本、版本をなるべく遡って出典に反映しようという、歴史的ストロング・スタイルに貫かれた真摯な国語辞典です。こういうのを読んでると、日本語の豊かな土壌にしっかりと根を張っているという気持ちになってくる。しっかりと根を張ってるから、ファッキン・クールとかストロング・スタイルとかが平然と使えるわけである(苦しい言い訳)。

「新潮」を称えるのに熱が入りすぎて、だいぶ間延びしてしまったが、グループ(C)でもう一つ紹介したいのが「集英社」の補足説明である。「集英社」では語義と例文のあとに「▽」を付して補足的な説明を加えることがあるんだけど、「こまぬく」には

▽「こまねく」ともいう。もと、両腕を前で組み合わせる中国の礼法から。「唐(こま)貫(ぬ)く」からか。
(カッコ内の読み仮名は原文では割注)

と、書かれている。他の辞書の語釈を見比べても、「胸の前で手を組む礼法といったら、三国志とかでよく見るアレかな」と、推察できるところである*8。しかし「唐貫く」という語源説は、よその辞書には全然載ってなくて、独自性が強い。「からか」って思いっきり疑問形で書いてるし。いや、辞書に載せるくらいだから、なんか有力な典拠があるのかもしれないけど。こうやって字面を見る限りでは合ってるのかどうか判断し難い(「高麗」じゃないの?)。ひょっとしたら勇み足なんじゃないかと思わなくもない。しかしこのように、ギリギリまで真面目に独創性を追求した記述こそ、国語辞典の華という気がする。後発ながら世評の高い「集英社」の魅力は、こういうところにも溢れているのである。

***

 私が上の方で、「いつかヘボンの原文を調べてみたい」と書いていたのを覚えておいでだろうか。苦節ゼロ日、ついにその機会が訪れた。この大インターネット時代にあっては、いつかと言わず今日すぐにでもヘボンの原文に当たれるのである。各国の図書館所蔵の「和英語林集成」が、スキャンされてGoogle Booksに収録されているからだ。喜び勇んでダウンロードして、この歴史的辞書を紐解いてみた私は、そこで衝撃の真実に直面してしまった。この続きはまた明日。

*1:一語だけの比較で辞書の性格を判断するなんてのは本来フェアではないし、そもそも最新版で揃えてないのに比較するのも問題はあるんだけど、遊びと思ってご寛恕ください。

*2:三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」の初版年は、見方によっては原形である戦中の「明解国語辞典」(1943年)に求められるのであるが、ここでは別物と考える。

*3:これは言い過ぎ。上品な辞書です。付録の「語彙の構造」とか好きです。ノドの方に書いてあるから暗い雰囲気、なんてのは完全な言いがかりである。

*4: (一)とした約物は、原文では丸の中に漢数字。

*5:観智院本は全編現存する唯一の名義抄だが、鎌倉中期の写本。より古い零本(部分的に残っている本)の図書寮本にある場合は〔図書寮本名義抄〕と明記される。

*6:広辞苑 第六版」では、宇治拾遺五「こまぬきて、少しうつぶしたるやうにて」という用例が引かれている。「宇治拾遺物語」は鎌倉初期の成立なので、「新潮」に引かれている例よりはやや新しい(検討した上でのことかもしれないけど)。「広辞苑」では「こまぬく」の語義を明示的には分類せず、「左右の手を胸の前で組み合わせる。腕を組む。転じて、何もしないで見ている。傍観する。」と書いたあとに、先ほどの引用例文を載せているのだが、これではどの意味の用例なのか判別しがたいので、不親切だと思う(理由があって避けてるのかもしれないけど)。古い方の意味から書くのが「広辞苑」の基本的なルールなので、古典の用例なら初めの二つの意味のどっちかかなと推量はできる。実際そのあとに「腕をこまぬく」「手をこまぬく」の形が引かれているので、転じたあとの意味が後の二つの例文だと読み解ける。ただし胸の前で手を組んでるのか腕を組んでるのかは、結局特定できない(原文にあたっても特定できないかもしれないけど)。

*7:興奮すると言葉遣いが乱れる。

*8:四字熟語に「拱手傍観(きょうしゅぼうかん)」というのがあって、これは礼法のポーズのまま、何もせずにそばで見ている、という状況を慣用句にしたものである。もうすこし詳しくその状況を想像すると、玉座の間みたいなところで官僚たちが恭順のポーズのまま並べられていて、部屋の真ん中では同僚があらぬ疑いかなんかで偉い人に責められててこれもう多分死んじゃう、死んじゃうからかわいそうなんだけど、偉い人に逆らうわけにもいかないので手を組んだまま、だまって見ている……という感じですね(つらすぎる)。この四字熟語の意味が、もともと「腕を組む」という意味だけだった日本語の「こまぬく」に乗り移って、現在のように「手をこまねく」だけで何もしないでいることを表すようになったものと思われる。