TBLG

日々是推敲

スコット・ウェイランドのたゆまぬ彷徨(3)

危機、離別、再集結

1995年のはじめ、STPは次のアルバムのためのセッションを始めた。しかしその試みは二週間ほどで頓挫することになった。ウェイランドが薬物所持により拘束されたのだ。「Purple」の制作とそのツアーのころから、突出して派手なスター性を纏っていくウェイランドと他のメンバーの間には、亀裂が入り始めていた。この事件に前後してバンドの結束はさらに弱まり、ほとんど活動休止にまで追い込まれた。ウェイランドには一年間の保護観察処分という判決が下された。

ウェイランドはこの時期、サイドプロジェクトthe Magnificent Bastardsの活動を開始する。下積みを共にしただけに、エゴとエゴのぶつかり合いも激しくなる本体バンドよりも、半ばビジネスライクに自分の音楽を実現できる環境を求めたくなったのだろう。腕ききのセッション・ドラマーでプロデューサーでもあるヴィクター・インドリッツォとウェイランドを中心としたバンドで、その成果はとある映画のサウンドトラックとジョン・レノン・トリビュート・アルバムという二つのコンピレーションに収められたもののみが公開されている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=x9WO5hTy-hU
Mockingbird Girl

ツイン・ギター・オルタナの佳曲、という感じの曲。後にリアレンジされてウェイランドのソロ・アルバムに収録されていて、事実上ウェイランドのソロキャリアにおけるデビュー曲ということになる。後に明らかになるようなデヴィッド・ボウイ好き好き感はまだ出ていない。

STPの停滞に苛立った残りのメンバー達も、新たなヴォーカリストを探しながら作曲を進める。のちにTalk Showとしてともに活動することになるデイヴ・カッツの人選は、この時には既に済んでいたらしい。バンドの活動にフラストレーションを抱えたソングライターの多くがそうであるように、この時期の彼らの作曲能力は飛躍的に増している。ディーンの言によれば、前のセッションがポシャってからの数ヶ月間に30曲ほどが出来ていて、秋にSTPのレコーディングに入る前に、それらをあらかじめ振り分ける必要があったということである(振り分けの傾向についてはあとでまた書くが、さすがに後の方に「あまりもの」を使うわけにはいかないという判断が見て取れる)。

そう、彼らは決まりかけた新しいヴォーカリストとの活動を先延ばしにして、STPのレコーディングに入った。そこまでのことをさせるだけの「何か」を、全員が感じ取っていたのではないかと思う。


Tiny Music… Songs from the Vatican Gift Shop(1996)
Tiny Music...Songs From The Vatican Gift Shop

Tiny Music...Songs From The Vatican Gift Shop

 

レコーディングは合宿形式で行われた。サンタ・バーバラの一軒家を借りきって、そこにレコーディング機材を持ち込み、寝起きをともにしつつの録音である。何もかもが順調だったとは言えない。バンド内の関係は完全に修復されていたわけではなかった。初めはどこかぎこちなく、やがて険悪な空気さえ漂った。しかしそこにある音楽は、個人的な不満を越えて彼らを結びつけ続けた。PVに使われて残されている当時の映像では、さすがに直接的な摩擦みたいなものは見られないけど、ウェイランドが他の三人とろくに口も聞かない、というビーチ・ボーイズ的な日々もあったと、何かで読んだおぼえがある。

しかしこの時期のフラストレーションの高まりは、悪い面ばかりではなかったというのが、いちファンとしての僕の正直な感想だ。解散寸前の緊張に満ちたバンドだけに気まぐれにもたらされる、詩神の恩寵のようなものが、彼らの上にも降り注いでいたことが、このアルバムを聴くとわかる。STPの他のアルバムでは、楽曲が要求するアレンジに忠実に従うという彼らの性向のゆえに、アルバムとしてのトータルイメージの形成に至っていない面がままあるのだが、この「Tiny Music…」だけは美しい例外となった。グラム的にケバケバしいポップ・ソングをポスト・パンク的な荒々しい音像で鳴らす、という、このバンドのオリジナリティの中でも最高の果実がこのアルバム全体を貫いている。そして統一感のある音像に抗うように、楽曲のほうがさらに振れ幅を増している。

シングル曲についてはPVとともに取り上げるが、アルバム曲も全てがすばらしい。あくまでスムースで美しいAnd So I Know、軽いジャム風のヴァースからいきなり怒りを叩きつけるようなコーラスに移行するArt School Girl。過去のアルバムにおけるCreep、Big Emptyのような構成(静かに始まってドカン)を持つ曲にAdhesiveがあるのだが、ここでは最初のパートはさらに陰鬱に、「Adhesive love」と歌われる大サビは天上的なまでに美しく鳴らされる。こんなにも美しいしゃがれ声は他ではちょっと聞けない。彼らの置かれた状況──成功の後遺症としての混乱、そして仲間への愛着──を粗く素描したような歌詞も、涙なくしては聴けない。


https://www.youtube.com/watch?v=G0gAxuvo5rc
Big Bang Baby

と、大真面目に語ってきたところで出すといかにも気の抜けるようなPVなんだけど……。でもまぁポップな曲をやけくそとばかりにぶち鳴らすスタイルがわかりやすく出ているのが手柄と思う。最後のコーラス部分で、画面に4つ並べたハートマークの中から顔を出してふざけてるところなんか超ベリーマッドである。ところで、わりと肉づきが良かったウェイランドの顔がげっそり痩せている。本人的にはケバいメイクが映えるので嬉しそうにも見えるけど、傍目に見てると嗚呼……となるところではある。とつぜん思い出したので書くんだけど、ベースのほうが弟だからね。……こら! そういうことを言ってはなりません。あれはダンディなヘアスタイルが進行しているというのです。


https://www.youtube.com/watch?v=HVPzWkdhwrw
Trippin’ On A Hole In A Paper Heart

セカンド・シングルは珍しくドラムスのエリック・クレッツの曲。クレッツは他のアルバムでは単独名義での作曲はないのだが、この時期(「Tiny Music…」と「Talk Show」)は例外的にリーダー曲がある。PVはレコーディングセッションの様子と、おそらくこの時期の雑誌用の撮影かなにかのオフショット集という形になっている。「元気でやってます」といった雰囲気がそこにはある。この曲の後年のとあるライヴ映像における、ウェイランドの痙攣的な動きと衣装(上半身裸に腿までぴちっとした黒いパンツ)は、日本のファンには「アメリカの派手なエガちゃん」と呼ばれ親しまれている。


https://www.youtube.com/watch?v=ds_43MdYiuQ
Lady Picture Show

今作のおしゃれ担当PV。タイトルまんまのヴィジュアルワークですが……。こういう白黒の映像で見たウェイランドはやはり痩せて見える。メイクにおけるボウイ趣味はいや増すばかりである。

このように傑作を手にしたバンドだが、セールス的には期待したほどの動きはなかった(それでも初登場4位だけど)。批評では作品の「一皮むけた」感を好意的に扱うものも多かったが、表面上では非カラフルに見えるところが退歩と断じられる場合もあった。グランジ・ブームが一段落し、ラップ・ロック(って言えばいいのかな)の興隆に向かっていた時期にあっては、「いまいち尊敬されないグランジ・バンド」がやや苦戦するのは仕方がないと言えるのかもしれない。ポップ・ミュージックにおける「時代遅れ」という概念が崩壊してしまった現在に生きていると忘れそうになるけど。そんなわけでこのアルバムは、どことなく「ファン向け」みたいなイメージをまとったまま今に至る。アルバムトータルでのオリジナリティ、ストレートに迫る演奏、といった尺度から見れば、最高の作品だと思うんだけども。

セールスが伸び悩んだことの責任は、バンド(というかウェイランド)にもある。96年末、またもウェイランドが薬物所持で逮捕され、アルバム発売後のツアーが中断してしまったのだ。ちょうどオリジナル・メンバーの再結成を遂げたKISSのサポート・アクトとしてツアーに同行していた時期で、秋の北米ツアーを終えて、年内最後のハワイ公演に向かう前の逮捕だったということである……と、Wikipediaにはあるんだけど、KISSのツアーログを確認するとハワイへは行っていない。うーむ。まぁ別にハワイじゃなくてもいいんだけど。とにかく年末のライヴと、続く97年のツアーへの同行はキャンセルされたということ。とんだご迷惑をおかけした形になるKISSの皆様だけど、ドラムスのピーター・クリス様からは、「あいつが良くなるのを祈ってるよ。なにしろ奴らはマジでグレイトなバンドなんだからね」という地獄のあたたかい励ましを頂戴したということである。がんばれウェイランド。

かくしてSTPは、滑り落ちるように活動休止の暗い淵に沈んでしまった。正式な解散宣言こそしなかったものの、ウェイランドは(リハビリと)ソロ活動に、残りのメンバーは新バンドに全力を傾注することになる。


Talk Show(1997)
Talk Show

Talk Show

 

ウェイランドの歩みからは少し離れるけど、関係ない話でもないので、1995年に一度中断していた、STP楽器隊とデイヴ・カッツ(人気はともかくキャリア的には先輩)による新バンド、Talk Showについてもさらっと触れることにします。このころウェイランドはたぶん更生施設にでもいたんじゃないかと思う(うろおぼえ)。

前にも述べたようにこのアルバムは「Tiny Music…」の姉妹盤とも言えるもので、95年のSTP中断期間に書き溜められた曲から「デイヴ向け」に取り置かれた曲がほぼそのまま用いられている。したがってその内容はきわめて充実している。とにかく次から次へといい曲が出てくるという……。さきにちょっと触れた楽曲の振り分けの傾向についていうと、これは個人的な感想も含む想像なんだけど、ある程度ポップ・ソングとしてまとまった完成形が見えているものをTalk Showに、デモ状態ではヘンな曲だけどメロディ次第で大化けしそうな曲をウェイランド向けに振り分けたのではないか、という気がする。そのくらい「Talk Show」の曲のポップソング的完成度はおしなべて高いし、「Tiny Music…」の荒々しい予測不可能ぶりと好対照を成している。それは初めて組む先輩ミュージシャンに妙な出来のデモをぶつけるわけにいかないということでもあるし、それだけウェイランドとの化学反応を信頼していたということでもある。そしてその成果をあえて比較するなら──ある意味不幸なことに──ウェイランドとの化学反応の非常な強力さを証明することになった。

レコーディング自体はSTPのツアーがぽっかり空いた夏の一時期を利用して、ひと月ほどで行われたようで、ほとんど掛け持ち状態の忙しさなんだけど、それもテンションの高い良い演奏につながっている気がする。これだけ充実した演奏をみせられたら、どことなく「私キープされているのかしら」的な立場に置かれたデイヴ・カッツの疑念みたいなものも、吹き飛んでしまったことだろうと思う。バンドのグルーヴのキレはむしろ高まっているとさえ言える。したがって演奏の質がどうこうという問題はない。曲が良く、演奏も遜色ない。デイヴ・カッツの歌には、「代役」的に声質の似たヴォーカリストとして選ばれている印象はついて回るのものの、それを差し引けば、この怒涛のポップ・ソング祭りによく似合うクリアで喉越しの良いヴォーカル・スタイルという美点があると思う。

それでもなお、何かが足りない。

これはもうマジックと呼ぶしかない。選ばれたバンドだけが生み出せる特別なエーテルことバンド・マジックである。このバンドにはマジックだけがなかったのだ。今でこそ楽曲の質の高さから(僕に)見直されている埋もれた良作だが、当時のセールスはけっこう厳しいものだった。ピーク時131位だそうだ。アメリカのマーケットとはかくも極端なものなのか。ほとんど残酷である。


https://www.youtube.com/watch?v=doeYk7Np4uQ
Hello Hello

というわけでTalk Show唯一のPVを。わりにギュウギュウに要素の詰まった曲なんだけど、キレッキレでいい演奏ですよね。まぁこの曲がピークといえばピークではあるのだけど……。あとなんかやたらポップな上に背景に虹が描いてあるあたり、後年の短命バンドZWANを彷彿とさせるところである。ZWANで思い出したけど、最近Pixiesでベースを弾いてるパズ・レンチャンティンって小学校の美人教師みたいな衣装でなんともいえず良いですよね。最初見た時は「さすがにお年を召されましたなぁ……」って思ったのだけど、じわじわ良い。もちろん若い頃の良さは論に及ばずである。何の話をしているのだ僕は。

Talk Showに話を戻すと、このPVを探すついでに当時のライヴ録音を見つけて聞いたんだけど、オリジナル曲の途中からSTPのTrippin’〜に突入するパフォーマンスなんかをしていてデイヴ・カッツが気の毒だった。もちろんみんな良かれと思ってやってるんだろうけど……。これも後年の「3対1」バンドAudioslaveにおける、「RATMの曲をやらされるクリス・コーネルの図」を彷彿とさせるところである。クリス・コーネルに関しては自分の曲(Spoonman)でさえ声の出なさをごまかしきれていないので、公開処刑やむなしというところではある(それだけ全盛期がクリス・超人・コーネルだったということなんだけど)。その点デイヴ・カッツはけっこう歌えている分よけいに気の毒というものだ。「声は出てるんだけど、いちおう現役の本物と比べられちゃあまずいよなぁ」というか。そのせいかどうかは知らないけど、デイヴ・カッツはTalk Showのあとは目立った活動をしていない。

バンドはFoo FightersやらAerosmithやらという超絶VIPとツアーを回るも、前述のとおりセールス的には失望する結果となり、98年のはじめにデイヴ・カッツがバンドを去るという形で解散している。アメリカのロック史屈指の残酷物語であると僕は思う。


12 Bar Blues(1998)
12 Bar Blues

12 Bar Blues

 

なんか思いのほかTalk Showの話が(脱線気味に)盛り上がってしまったけど、その間にウェイランドも(たぶん)健康を回復し、ソロ・アルバムの作業を進めていた。どうやら当時の義理の兄のツテで紹介されたプロデューサーとの作業から、ドラム・ループを柱にギターやキーボードを重ねてコツコツ作曲することを覚えたらしい。そうか、地球にはこんな便利なものがあるのか、という感じで(想像)。

こちらはその制作過程からも想像できる通り、バンドサウンドをほとんど引きずらない作風で、もともとは全編バンドサウンドだったMockingbird Girlさえヴァース部分のオケをドラム・ループとふわっとしたギターに差し替えるというアレンジ変更を加えている。全体的には、クリアなR&Bサウンドから、ノイジーなインダストリアルまでの振り幅をもったポップ・ソング・アルバムといったところである。主な影響源はもちろんデヴィッド・ボウイだ。Jimmy Was a Stimulatorという全編テクノ・サウンドにソウルフルなメロディーが絡む曲なんか、ほとんどその頃のボウイそのままみたいな曲だと思う。しかしここまで寄せてしまうと、ソウル的な「節」が出せるボウイとは違って、ウェイランドのヴォーカルは案外ストレートな感じになってしまい、あまり「これぞ」という出来にならないのが悲しい。バンドではあれだけアクが強いのに。コクみたいなものに欠ける、というか。もちろんそのクリアな声質を持ち味として伸ばしていくとか、ウェイランドなりのコクを生み出していくといった可能性はあったにせよ。

とはいえ今聴くと、楽曲それぞれのクオリティは低くはない。というよりむしろけっこうかっこいい。録音的にも蓄積資本の豊かさを感じる。当時のファンが求めていたものとは違った、というだけのことで、決して駄作とけなせるようなものではない。ボウイだボウイだ言われるけれど、ウェイランド独自のメロディが堪能できる曲も十分ある。ちなみにこのアルバムが出た当時、ロス在住の日本のロックスターことhideが、なんかの番組の近況ビデオレターみたいなやつで、ロサンゼルスのレコード屋にこのアルバムを買いに行くというのをやっていた(Youtubeで見れるのかもしれないけど探すのを断念しました)。その時には「大好きなバンドのヴォーカリストの初ソロアルバムで楽しみにしていた」ということだったが、のちの評として「土下座してでもバンドに戻れ」的なことを言っていたのは有名な話である。しかしそれも、必ずしもこのアルバムの出来が良くないということではなかっただろう(と思う)。要するに、今まさに脂の乗り切ったバンドをみすみす遊ばせたまま、ソロ活動なんかしてる場合じゃないぜ、お前のソロは(決して悪くはないけど)そこまでの出来ではないぜウェイランド、ということである。お前さえまともになればバンドは順調なんだから……というか。なんかタイミング的に遺言みたいな話ですが(ご存知の通りhideはこの年の5月に早世した)。


https://www.youtube.com/watch?v=kmjNkyCxmTM
Barbarella

というわけでこのアルバムからの唯一のPVを。一聴してわかる通り、「もしも初期ボウイが90年代の機材を持っていたら」みたいな曲である。特に最初の方。サビに入るとさすがにウェイランド的なメロディが前面に出てくるとは思う。でもまぁこれについては曲がどうこう以前にPVが……。だって地球に落ちてきた宇宙人ですよ。まんますぎか! ここまで徹底的にやられると、ほとんど「私はボウイになりたい」の世界である。ちなみにその頃のデヴィッド・ボウイご本人は、これまた熱狂的なボウイ・ファン(たぶん)のトレント・レズナーとつるんでいた。っていうか追われていた。要するにストーキングである(怖い)。あんまりしつこく追われるので慌ててタクシーに乗りこんだらその運転手がまたトレント・レズナーだったというコント……じゃなくてPVを撮っていた。I’m Afraid of Americansという曲なんだけど、久々に聴いたらこれさすがにかっこいいですね。90年代後半のボウイは充実していた。その後心臓の手術までしたのに10年たったらしれっとまた充実しているんだからこれはかなわない。ほんとに宇宙人なんじゃないか。MIBじゃないけど。

ウェイランドに話をもどすと、「12 Bar Blues」はその挑戦ぶりも買われてか、評判は決して悪くはなかったが、もちろんバンドサウンドを期待していたファンは失望したし(the Magnificent Bastardsのメンバーも一部参加してる、という前情報もあったと考えるとこれは仕方ない)、セールス的にもあまりふるわなかった。最高42位だったということだ。デイヴ……………………。というより、それだけ当時のSTP楽器隊が「バックバンド」的にきわめて不当な認知を受けていたということなのだろう。レコード会社のバックアップだって、ウェイランドのほうが手厚かっただろうし。逆に考えれば、この時期の別離と挫折があったからこそ、STPが真に価値あるロックバンドで、不可分な運命共同体であることが全世界に知れ渡ったとも言える。ウェイランドにはバンドが必要で、バンドもウェイランドを必要としていた。音楽的にも、精神的にも。

いまや機は熟した。あとは再び歩み寄り、ほっぺにチューをし、化学反応をもう一度起こすだけだった。そして彼らにはそれができた。それをできるだけの力を蓄えてきた。しかし不幸の暗い影が完全に去ったわけではなかった。ウェイランドへの薬物の影響は、まだ抜けきっていなかったのだ。

 

(つづく)