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日々是推敲

スコット・ウェイランドのたゆまぬ彷徨(1)

スコット・ウェイランドが死んだ。自身のリーダー・バンド(The Wildabouts)のツアー・バスの寝床で、マネージャーに発見されたということだ。ミネソタ州ブルーミントン、12月3日、午後9時。その夜にも公演がひかえていた。ヘロインのオーバードーズだったのではないかという陰鬱な噂もあるが、もちろん定かではない。

わかっているのは、ありあまる自我と才能をどこか持て余すように、必要以上に自らを、そして友人たちまでも傷つけながら歩み続けたロック・シンガーが、大きな失意の続く年月とわずかな希望のうちに、眠ったまま静かに息を引き取ったということだけだ。数年前、古巣ともいうべきバンドStone Temple Pilotsのメンバーとの不和の末、一方的に解雇を言い渡されていた。今年のはじめには、The Wildaboutsのギタリスト、ジェレミー・ブラウンを、アルバム・リリース・ショウの前日という最悪のタイミングで失った。しかし彼はバンドを続けた。ささやかながらも暖かい居場所を見つけ、再び自らの手で勝ち取る成功がその先にあるはずだった。あるいはアメリカ的な成功までは望めなかったかもしれない。それでも彼は、その音楽的充実の灯を絶やすまいと努力を続けていた。

あんまりだ、と僕は思う。 

彼の生き方は、時代錯誤なくらい不器用だったかもしれない。20世紀も終わりになって、薬物のことなんかおくびにも出さないミュージシャンがいくらでもいる中で、まるでワイルドな時代の残響のように、メディアは彼の裁判沙汰を取り上げていた。やっと漕ぎ着けたアルバム・ツアーの日程を、服役のために1年延期したこともあった。薬物問題がなくたって、そもそもが危険なまでの気分屋で、たびたびバンド・メンバーとの間にトラブルを抱え、あるいは個人的なトラブルで身を持ち崩し、追い出されるようにして脱退している。それでもなお、彼が生み出す奔放なメロディ・ラインと奇矯なパフォーマンスは、トラブルよりも多くの素晴らしい瞬間をバンドに、そして観客にもたらした。衝動的で、コントロール不能な、天才肌のロック・ヴォーカリスト

この文章は日本の──ウェイランドにとっては薬物問題が災いして日本はなかなか遠い土地だったけど──いちファンが、ごく個人的に彼を讃え、追悼するために、彼とその時代を振り返るべく書いた文章である。要するに夜中に酒を飲みながら延々とアルバムを聴いたりYoutubeでPVを観たりして過ごすアレのついでに好きなことを書き散らかしてしまおうというつもりであります。

 

マジックのあるバンド

ウェイランドの歩みを振り返る前に、僕自身がどのようにしてウェイランドを、というかStone Temple Pilots(以下STP)を好きになったのか書いてみる。こんな文章を書くぐらいには好きなバンドなんだけど、初めて知ったのはいわゆる「リアルタイムで見ていた」とはとても言えないタイミングだった。最初の解散後の2003年のことだ。僕は17歳で、高専の2年生だった。高専に行った人ならわかると思うんだけど、高専の2年生というのは大いなる弛緩の始まる年である。要するにぼんやりと好きなことをしている時間はいくらでもあったのだ。ここでは深入りしないけど。

STP前夜の僕の音楽的嗜好は、いわゆるヴィジュアル系界隈のバンドと、それらと並べて聞けるような洋楽の間を行ったり来たりしていた。思いつくままに列挙すると、LUNA SEAGLAYL’Arc~en~Ciel、X JAPANBUCK-TICKSOFT BALLETcali≠gariThe Cure、BAUHAUS、NirvanaKORNSmashing PumpkinsMarilyn MansonNine Inch Nails、といったあたりである(なつかしい)。ヒップホップ、エレクトロニカ、ハードコア、マーク・コズレク、みたいなのはまだ遠い先にあった(ということにする)。

そんな中でもとくに好きだったのは、hideが晩年やっていたZilchと、ちょうど上に挙げたバンドの中間みたいな立ち位置だったOblivion Dustで、そのヴォーカリストであるケン・ロイドとhideが共通してフェイヴァリットに挙げていたのがSTPだった。ケン・ロイドはSTPを評して、「とにかくユニークなオケの上に、合ってるんだか合ってないんだかわからないメロディが乗ってて、それがかっこいいというところがOblivion Dustと似てる」というようなことを言っていた。ちょうどZilchも活動継続してこそあれどイマイチな感じで終わってたし、Oblivion Dustも不和の末解散してしまっていた。ケン・ロイドとINORANによるFAKE?も、良い曲はすごく良いんだけど……というところに収まっていた。

そんなわけで、近所のCD屋で(ロードサイドのTSYTAYAだ)たまたま見つけた、当時出たばかりのベスト盤「Thank You」を衝動的に買って、初回限定でついていた超盛りだくさんのDVDを見て、度肝を抜かれたわけである。震撼したね、ほんとに。

読む人によっては、「なんでV系好きの17歳がいきなりSTPにハマるんだ」と至極正当な疑問を持たれるところだと思う(すでに「なるほどね」と思ってる人もおられるとは思うけど)。ジャンルの融解が進んでいた時代とはいえ、70年代ハード・ロックの影響を色濃く受け継いだオルタナ・バンドに、その真逆みたいなものの影響下にあるV系から飛ぶなんてできるのか、と。そうなった理由はごくシンプルなもので、端的にいうと「バンド・マジック」的なものが溢れんばかりに出ている演奏というのを体現したようなバンドなのだ、STPは。いくつかのカテゴリのロックとちょっとずつ似ていて、でも本質的には何にも似ていなくて、ただ曲の良さと、バンド・マジックだけがある、というような。

バンド・マジックだけがある。

なんとなく共有されうる言葉だと思うんだけど、あらためて説明するのは難しい。ひたすら偉大な、エポック・メイキングなバンド(それこそNirvanaとかRage Against the Machine(以下RATM)とか)の、奇跡的なチームワークとオリジナリティを称揚して言われるような意味での「バンド・マジック」とは少し違う。活躍としては比較的地味かもしれないし、一夜にして勢力図を塗り替え、多くのフォロワーを生み出すような傑出した作品を産んだわけではないけれど、だからこそ流行とは少し違う位置にある定点となって、独特の存在感を長く保ち続ける、というバンドの放つタイプのバンド・マジックなのだ。すこし幅をとって他の例を挙げるなら、「メロンコリー〜」までのSmashing Pumpkinsとか、「第6実験室」〜「8」の頃のcali≠gariのような。

バンド内には軋轢があるかもしれない、なんなら義務感で一緒に演奏しているかもしれない、私生活だってそれほどうまくいっていないかもしれない、時代の波を掴んでるわけでもない、というかむしろちょっと時代錯誤の風さえある。それでもそこにある音楽は、それぞれのキャラクターは、自由でありながら互いに官能的に絡み合って、各々の魅力を何倍にも引き出すことに成功している。それまでわずかながら独りでこつこつと音楽を聞いてくる中で、そういうものに対する嗅覚を徐々に形成してきた僕には、STPこそがそんなバンドだと思えたし、今だって(特に2002年までの)彼らは、そのようなマジックを成し遂げたバンドのなかでも最高の一つだと思う。

スコット・ウェイランドがその気まぐれな彷徨の先に追い求めていたのも、もう一度純粋なバンド・マジックを得ることだったのではないか……といったあたりが、この文章のテーマになる気がする。でもその話をするのはもう少しあとにしよう。

 

(つづく)