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TBLG

日々是推敲

佐野エンブレムをめぐるデザイン談義は日本人のリテラシーを向上させる

東京オリンピックのエンブレムをめぐるデザイン談義は面白い。なにも炎上してるから楽しいぜヒャッハーと言っているのではなくて(ろくでもない誹謗やくだらない権威主義だと思う意見もままある)、創作の過程やデザイン・広告業界の内幕や商標・著作権や専門家・非専門家の界面における問題までを包含した総合的なコミュニケーションとして面白いし、こういう炎上まで行ってしまった、いわば擬制的な当事者意識を持った人が過剰に増えてしまった環境での議論を通じて、善良なる市民の全体的な知識レベルを上げる機会というのは、むしろプロたるデザイナー達こそ望むべきものなのではないかとすら思う(ビッグ・ブラザーとして振る舞い続けたいなら別ですが)。というわけで、コンペ提出案および発表までの修正過程が公開されて「いやもうこれわかんねぇな」的な雰囲気が醸成されつつある今になって、私としましても遅まきながらここに愚考をひとつ晒してご高閲を賜らんと思い筆を執った次第であります。ヒャッハー。

この件のこれまでの経緯については既に各所でまとめられているので割愛。たとえばこの記事と付随するブコメで大体のところは追えると思う。

cruel.hatenablog.com

「原案は似てなかったから盗作じゃない。でも今のところ公開はできない」的な審査委員長の発言から、一夜(だったっけ)明けて公開されてみたら、あれ、背後の円は? 背後の円こそがパクリじゃない根拠じゃなかったの? と首をひねらざるを得ないデザインだった、というわけである。そりゃ山形浩生先生も満を持して口を開いちゃいますよねというくらいのナイス送球だと思う。

亀倉雄策のエンブレムに対するリスペクトこそがベースコンセプトになっている、だからベルギーのアレは関係ないんだ、イッツァ・収斂進化・オーケイ? という、佐野自身による記者会見での説明をひとまず信じた上で、新たに公表された案についても虚心坦懐に見るというのが、ここでは一つのマナーと言えるだろう。それでこそ和の精神だろう。すると新たに公開された初期案は、確かにベルギーのアレには似ていないものの、亀倉リスペクトとしてはちょっとどうだろうか、日の丸は縮小して足元に置いときましたよ的なデザインになっているのがもったいないな、という印象になる。というか、どうしてもにわかには信じがたい感触が砂抜きの足りないハマグリみたいにザリっと残って飲み込み難い。三角部分が直線だった(=ベルギーのアレとは似ていないんだぜ)というのを示しつつ、背後の円を見せずに亀倉リスペクトがベースになったデザインだったということと両立させるなら、足元に日の丸を置くよりは亀倉デザインの日の丸に該当する部分を色で残しちまうほうがまだ収まりがいいのではないか? 例えばこんな風に。

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いや、別に公表された初期案が火消しのためのでっち上げだと疑ってるわけではないですが。あとまぁこれと比べるなら現行案の方が明らかにに尖ってて良いよね。特にパラリンピックの方なんかは。

と、ここまで書いてきて思ったのだけど、公表された修正過程は、デザインの過程としては実は時間軸が逆なんじゃないか?  つまり、一次修正案および現行案はむしろ、佐野が製作過程で描いていた案により近くて、提出された初期案はベースコンセプトの影響を排除しようとして曲線を取り去ったバージョンだったんじゃないかという印象を受けるのだ。で、提出案でのコンペ選出後に、日の丸が足元にあるのを何とかしなよ的な、目上の人の名前は一段高くして書きなよ的なジャパニーズお役所ビジネス的修正要望が出て、それを受けていじっている最中に、実はこれ、元は背後に円があったんですけどどうすか? というのを出してみたら、これがナウなオールドにバカウケして、「佐野くん、これは良いよ、なんといっても亀倉先生のデザインをベースにしてることがわかりやすいし。やはり円だよ、円。足りないのは、円」といった和気藹々とした雰囲気になって、現行案にまとまったという経緯だったのではないか。繰り返すけどまったくの個人的な想像ですからね。話九分の一くらいで聞いてね。

で、なんでこういうことを考えたかというと、「亀倉デザインの継承というなら後の円が初期案にないのは不自然だろ」という短絡的なツッコミを先にしたわけだけど、日の丸をベースにどんと置いてそこからデザインを初めて、新しいエンブレムになったぞというのが見えるところまで操作を加えてから最後に元あった円を消して、残った九分割構図を可動的なデザインとして応用展開できるぞ、こりゃあいい、集大成なう……という過程でデザインされたものだとしたら、あの直線的な三角形を含む案が提出案であるのはあながち不自然ではないな、と考えを変えたということです。変えたというと語弊があって、上記のような解釈にしたほうが自分としては納得しやすいな、ということ。

これは私が思うパクリ議論に対する最終的な回答の一つの良いモデルで、つまり「先行作品をベースにクリエイティブを乗っけて、その後パクリ元の影響を消せば、そこにはオリジナルなものだけが残る」というのを図案にしたようなデザインであると思う。どれだけ新たな発想で、かつ理解・交歓可能な範囲を踏み越えずにクリエイティブを盛っていけるかという足し算の発想と、どれだけ巧妙に元ネタや過剰な部分を取り除いて、必要なことにフォーカスできるかという引き算の発想が両立するのが創作なんであって、「パクリ=悪」というのは考えなしの短絡だというのが私の基本的な考えだ。「ものづくり」なんて言うように、足し算でかく熱い汗ばかりがクリエイティブだと思われがちけど、引き算でかく冷や汗というのも尊いし、自分の能力と作りたいものに合わせて元ネタを選びとる努力だって実は結構尊いんだ、ということを言いたい。だからこそ、むしろもっと明るいニュアンスで「パクリ」というのをどんどん使えるようになるしかないんじゃないかとも思うのだけど。オマージュとかパロディとかパスティーシュとかと同じ、肯定的なニュアンスでの「パクリ」を議論できる環境が必要なのだ。

というようなことを考えていくと、今回のエンブレムのような作品がこういう形で炎上するのは、明るい意味での運命なんじゃないかなぁと思うわけであります。このエンブレムって第一印象がもー最悪で、なんだこれはとボロクソ書いたこともあったけど、ここまで考え続けることでまぁ和解と言っていい程度には悪くないなというぐらいに、そりゃ今でもジャパニーズ権威主義的な臭いが鼻につくぜとは思ってるけど、だいたい俺が権威主義嫌いなのはこのエンブレムのせいじゃないんだし悪いよな、というぐらいに、思えるところまで来たというのも、運命なんじゃないかなぁこれ、と思うわけであります。

 

だからこれからも、この騒動を奇貨として粘り強いコミュニケーションを続けていけばいいじゃありませんか、と思う。初期にエモいことばっか言って叩かれて以来内輪でこもりがちのアートディレクターの皆さんの意見なんかももっと見たい。そりゃひとつも金にはならんけど、業界をまるごと潰してニュータウン造っちゃうぞというわけでもないんだし、引き出していこうよ教訓。