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日々是推敲

うすらカウ・カル野郎として耳の痛みが取れない

 

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

 

 

経済学・哲学の専門家が、カウンター・カルチャーの社会的経済的役割に疑問を投げかける、という本。ヒッピー文化に端を発する芸術および消費主義批判論者の事例を豊富に引用するポップな文体はあくまで読みやすく、楽しい。しかしその読み口の親切さは実に鋭利な武器であり、形而上的なまでに高い志のために勢い余って具体的な問題解決を拒否してしまいがちな「反逆者たち」の姿をザクザクと浮き彫りにしていく。「そりゃ無いんじゃないの? 自分がやってることをよく見てみなよ」と。

反逆、革命、カウンター、クール、オルタナティブといった価値観は、その触れ込み通りに二十世紀後半の消費主義を破壊するのではなく、より多くの浪費を先導する役割しか果たして来なかった……というようなことを次々に例証して明らかにしていくあたり、胸がすく……と言いたいところなんだけども、アップル製品を持って自転車に乗ってルー・リードを聞いているといったようなワタクシの如き典型的うすらカウ・カル野郎には耳の痛くなることがまぁ山盛りで書いてある。その上どれも説得力があるんだからこれは困る。

しかし本書はカウンター・カルチャー的嗜好を、あるいはリベラリズムそのものを否定しているといった内容では決して無い。問題は(カウンター・カルチャーに特有のことではないが)先鋭化すればするほど「打ちてし止まん」的精神論に流れる傾向であって、根本的な解決を熱望するあまり、より現実的で実行可能な対応策の思想的な瑕疵を華麗に突き刺せる論者が力を持ってしまい、結果として非効力的な振る舞いに終始する、という残念な状況を止めようとしているのである。このへんの先鋭化・原理主義化によって目的が見失われる風景は、(本書の扱う範疇を越えるが)日本における戦中の挙国一致体制も戦後の民主主義体制も変わらないのではないかと個人的には思う。

ある意味では、昨今世界中の先進国で問題になっているレイシズムヘイトスピーチというのも、リベラリズム内の感情論者というか、カウンター・カルチャー的反逆者の行動様式が、たまたま右翼的な思想を持つ人々に水平遺伝して成立したのではないかと考えさせられる。中心となる思想の左右に関わらず、感情的なフラストレーションと行動様式が直結──短絡と言ってもいい──することをむしろ善とみなす、悦楽的な批判不可能性がそこにはある。それは傍から見れば過激な選民思想のようではあるが、本人たちにとっては至って真面目な生存戦略なのだ。あえて感情的に振る舞うことで、思想的な再生産の確率を最大化する狙いがある。そしてそのような行動に走らせる強固な遺伝的要因を成立させたのは、二十世紀後半に起こった革命思想と大量消費社会の幸福な結婚であり、その後の五十年近い純粋培養である。

「日本にはまともなリベラルが育っていない」という危機意識をお持ちの方には是非一読をおすすめしたい。少し比喩的な言い方が許されるなら、持続可能性の事は考えられても、それを支える経済力の特権性を認識することすら出来ないスノビきった人たちにはその太陽光パネルと大容量充電池でいっぱいのゼロエミッションユートピアでぜひ熟読してほしい。自分たちの生活は資源がたまたま許した試行の一つであって、クールかつ正義なモデルケースなんかでは全然ないことが理解できるはずである。あくまで比喩的に。